“大坂なおみだ(笑)”、“お尻のラインが綺麗だね”……オタ活がくれた「反論する勇気」

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高校1年生の休み時間、友人にBTSのダンスプラクティス動画を見せられたことがきっかけだった。

いわゆる“沼落ち”までそう時間はかからずに、気がつけば推し続けて6年が経とうとしている。生まれて初めて作ったオタ活用のTwitterアカウントで知り合った同い歳の彼女と私が、BTSの話なんて関係なく夜な夜な電話をするほど親しくなったのは、お互いが“ハーフ”(*)だと言うことがひとつの大きな要因であろう。

私の生まれ育った地域ではハーフという存在は一応珍しく、ひとつの学校の中に数名、外国と繋がりのある生徒はいたものの、同じ学年でハーフが何人も、ということはなかった。彼女との出会いが、はじめての“ハーフ”の友達との出会いだった。

*……この記事では、「ハーフ」という言葉が差別的なニュアンスを含んでいるにもかかわらず日常的に使われている現状を踏まえ、“ハーフ”と引用符付きで表記している。また、この記事ではミックスへの具体的な差別の描写があるため、ご注意願いたい。

「お店で英語のメニューを渡された」とか「日本語上手ですねと褒められた」とか、あるあるというより、モヤモヤするけど誰にも共感してもらえないエピソードを「わかる!」と初めて共感しあえた相手だった。

「“ハーフだから”美人」とか、「“ハーフだから”運動能力が高い」とか、そういった偏見の波に幼い頃から当てられてきたために、それにモヤっとしたり不快に思ってももはや状況が変わることはないと諦めていた。しかし、彼女は高校までインターナショナルスクールに通っていたこともあり、“ハーフ”である自分に対する人々の視線に、おかしい事はおかしいと物申していいのだ!ということを教えてくれた。

小学校に入学したばかりの頃、「何で肌が黒いの? “外人”なの?」とクラスで支持を集めていたガキ大将的な存在の男の子達から聞かれた。当時の私は「お父さんがガーナ人だからだよ」と、母から教わった私の肌が黒い理由をきちんと答えていたと思う。それがからかいだったのか、興味から出た質問なのかは定かではない。5年生になって、隣の席の男の子が私の机にくっ付けたがらなかったことの理由がなんであったのかも分からない。

そして大学生になった今、私は小学校の頃と同じように、「ハーフなの?」「留学生かと思った!」「お父さんとお母さんってどんな出会いなの?」「目立つよね〜」「その顔で英語話せないの!」といった言葉や好奇心を初対面の人や友人から浴びせられる日々を送っている。

初対面の、どう考えても失礼な人に対しては「日本人です!」と怒るようになったが、親しい友人からの言葉には信じられない!と心では思っていても、愛想笑いでやり過ごしてしまう自分がいるのが現状だ。

正直、大して仲良くもない人に自分のルーツだとか、親の馴れ初めだとか、肌の色とか、体型についてとか、一切触れてほしくない。喫茶店でアルバイト中に「外国の血が入っているからお尻のラインとかが綺麗だもんね。セクハラとかじゃなくって」と嬉しくもないことで褒められ(?)たり、パーソナルなことについて丁寧に説明することに飽き飽きしている。

私がハーフであることがそちらになんの影響を与えるというのだろうか。ハーフの友達が欲しかった? 珍しいから? 目立つから? そちらが率直な好奇心で投げかけてくる興味を、私は一生背負って生きていかなければならないのに。

仲のいい友人が道を歩いている黒人の留学生女性を見て、「きらりと似てない?(笑)」となんの悪気もない笑顔を向けてきたこと。知らない小学生が私の顔を見て、「大坂なおみだ(笑)」とニヤニヤしていたこと。そう簡単には忘れられない。勝手にコンテンツ化してくれてどうもありがとう、という気持ちである。

小さい頃からどこか他の人より何に対してもポジティブに居られたのは、「私は特別な素晴らしい存在で、周りの人と違うということが私をさらに特別にしているのだ」と思わなければ、嫌でも浴びせられ続ける周りからの視線に耐えられないから自然に身についた盾なのかもしれない。

そういった社会の現状をつくった根本にはメディアにおけるハーフの取り扱われ方にあるという。大学3年生の頃、私は大学の研究の一環で現代の日本社会におけるハーフの立ち位置について調べたことがある。

その過程で、そもそも“ハーフ”という言葉が差別用語であること、メディアがつくってきた“ハーフ”に対するステレオタイプが人々の感覚に根付いていること、そして、ハーフに対する差別が実際にあることを知った。

戦後から現在までの「混血」「ハーフ」「ダブル」「ミックス」などに関する研究の第一人者である下地 ローレンス吉孝さんの著書『「混血」と「日本人」ーーハーフ・ダブル・ミックスの社会史』(青土社, 2018)には、“ハーフ”が直面してきた現実が記されている。

私が研究していく中で、この問題に関する参考資料が下地さんの本くらいしかなかったことが、“ハーフ”と呼ばれる人々の存在や問題が無いものとされてきたことを物語っている。

そうして調べていくうちに、今までは日頃のどうでもいいことや芸能ニュース、推しの近況といった情報を得たり発信する場としてしか利用していなかったTwitterが、ある人々にとっては政治や社会問題について共有する場でもあるということを知った。

そこでは、私と同じように“ハーフ”であることにある種のコンプレックスを持っている人やフェミニズムについて発信している人たちが悩みや考えを共有していたのだ。

初めは、「わかる!」と感じたツイートを“きらり”では無い、リアルな私としての実名アカウントでいいねやリツイートをしていたが、何となくやりづらさを感じていた。本当はもっと引用リツイートをしたり、関心のある問題についてコメントしたかったが、どうしてだかやりにくい。それは、きっと人の目があったからだと思う。

リアルに顔を合わせたり、(恋愛的な意味で)ちょっといいなと思っている先輩だったりが見ているアカウントで社会的な事を語るというのは、「うるさい女」という印象を与えるのではないか。そういう意味での「わきまえ」意識が働いたのだ。

そのため、Twitterを思う存分には使えていなかったのだが、不意に目に付いた1つのツイートが「きらり」というアカウントを作ったきっかけになった。「フェミニストはモテないブスなおばさんが嫉妬して文句を言っているだけだ」という趣旨のもの。

当時、Twitterからの情報で共感する事の多くがフェミニズム関連だったことから、私はおそらくフェミニストなのだろうという意識が芽生えた時期だった。そのツイートを見て、「はぁ? 私かわいいし!!」と思ったのがきっかけである。今思うときらりというアカウントは、フェミニストへの勝手なイメージに対抗するべく作り出した私だったのだ。

防弾少年団のリーダーであるRMは、「ぜひ僕を利用してください。ぜひBTSを使ってください。あなた自身を愛するために」という言葉を私たちarmyにくれる。ある種の商品として存在する限り、KPOPアイドルたちはルッキズムや人権の侵害といった問題と切っても切り離せない。

その事実はいちファンにとっては心苦しいものであり、ファンコミュニティとして、彼らを応援する1人のファンとして、アイドルという存在にどう向き合っていくのかという事は常に問い続けなければならない問題である。

しかし、BTSが体型やビジュアルだけでは測ることの出来ないものを、音楽と、そして「BTS」という独自の概念のような存在として伝えてくれていると言うのもまたひとつの事実である。

もともと世間からの抑圧を跳ね返すというコンセプトで生まれたアイドルのBTSが、国連でスピーチをしたこと。そして彼らのファンダムは慈善団体へ多額の寄付をしていること。世界的な規模で大きくなったファンダムのあり方を導いているのは紛れもなくBTSのもつ信念や、彼らが私たちに投げかけてくれている言葉なのだと思う。

私が防弾少年団を何年も追い続けているのは、彼らのパフォーマンスやビジュアルもさることながら、彼らが発信するメッセージに毎度奮い立たされているからだ。私がツイッターで積極的に発信をしようと考えたのも、彼らや、彼らを通じてつながった冒頭の友人の存在があったからだ。

「Love Myself. Love Yourself.」とメッセージを掲げ、自分たちを応援してくれる全ての国の全てのARMY(彼らのファンの名称である)に「愛しています」と同じ言葉をくれる。どんな人種でもどんな信仰があっても、それを尊重してくれる。そんな彼らの背中を追い続け、リアルな私としても、きらりとしても、差別に反対し続けていこうと思う。

執筆=きらり

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