限界突破の氷川きよし、福山雅治「家族になろうよ」…紅白に抱いた希望と失望

今年も紅白歌合戦を見た後の熱気と共に新年を迎えました。

私は音楽番組が好きで、ツイッターでああだこうだと実況して相互フォロワーと時間を共有しながら見るのが日々の楽しみです。

色んな音楽番組がありますが、やはり一番好きなのは毎年大晦日に生放送で行われるNHKの紅白歌合戦。今年は新型コロナウイルスの影響で無観客ではあったものの無事開催され、楽しみにしていた身としてはとても嬉しかったです。

2019年の紅白ではMISIAさんがレインボーフラッグをステージに設置して、様々なジェンダー、セクシュアリティの人達をバックに、明らかにLGBTQ+を意識したパフォーマンスを行いました。そして2020年もそのような多様性に配慮したステージがいくつか見受けられ、セクシュアルマイノリティである私は、多くの人が見る番組でこのような演出があることにとても勇気づけられました。(今回の紅白の瞬間最高視聴率は第2部で47.2%)

しかし全体としては、従来のジェンダー規範に則った選曲や演出、近年のフェミニズムの隆盛に反するようなキャスティングもあり、ジェンダーやフェミニズム的な観点から見るとかなり歪な内容であったとも思います。

ということで、この記事では氷川きよしさんと福山雅治さんのパフォーマンスを主に取り上げながら、ジェンダーの視点から見た2020年の紅白歌合戦の総括をしていきたいと思います。

氷川きよしの“紅白”の枠を超えた力強いステージ

タイムテーブルが公開された時から氷川きよしさんに期待をしつつ、昨年の衝撃を超えることができるのかという不安も勝手に抱いていたものの、それは杞憂に終わりました。

今回披露された曲『限界突破×サバイバー』は2019年の紅白でも披露され、これまでの演歌歌手としてのイメージとは違った一面を見せ話題になりました。それは、歌詞にもある通り“壁”をぶち破ったパフォーマンスでした。そして2020年にも同曲が披露され、今回は紅と白の“壁”をぶち破ってくれました。

檻をイメージしたようなステージの中で白の衣装を着て歌っていたかと思えば、その檻が外れスモークが焚かれた後現れたのは赤のボディースーツに網タイツを合わせた姿。そして最後にゴールドの華やかなドレスを着て宙を舞いながら歌うという、メッセージ性とショーとしての華やかさのどちらも兼ね備えた演出になっており、個人的には最も優れたステージだったと感じます。

自らが白組であることを「枠」に囚われているものとし、その「枠」を取り払い赤の衣装を身にまとって身体的性で組み分けをすることへの反抗を示す。それだけにとどまらず、最後には紅白どちらの色でもない金色のドレスを着て宙を舞い、そもそも女/男で分割することの意味の無さまで表現してくれたことに胸を打たれました。

近年トランスジェンダーの存在が認知されてきてはいるものの、Xジェンダーのような女/男という二元論で自身の性を定義しない人たちのことはまだ周知されていないように感じるので、そのような人たちにとっても意味のあるパフォーマンスだったのではないかと感じました。

しかし紅白歌合戦は、性別の壁を破壊するようなパフォーマンスをした氷川きよしさんをディズニーメドレーのヘテロロマンテック(異性愛の恋愛)の物語『アラジン』の曲である“Whole New World”の男性パートにキャスティングしており、この点が疑問でした。“白”であることを「枠」に囚われていると表現する人に対して、このような配役が適当であると考えるのは難しいのではないでしょうか。

しかし、このパフォーマンスでの彼の衣装が王子様のイメージが強い純白のスーツではなくオーロラカラーのカラフルなスーツで、そこに異性愛規範への対抗の意があるのではないかと私は感じました。

「家族になろうよ」を歌った福山がラジオで語っていたこと

氷川きよしさんのパフォーマンスとは逆に、福山雅治さんが披露した「家族になろうよ」は異性愛的かつ家父長制的家族観を色濃く含んだ曲となっています。

この曲が披露されたことに対して、「家族になりたくてもなれない人がいる」などセクシュアルマイノリティへの配慮に欠けているという意見がネットで多く見られました。現在では自治体によってパートナーシップ協定を結ぶことができるところもありますが、未だに国の法律として同性婚が未だ認められていない日本で、この曲を国民的音楽番組である紅白のトリに持ってくることは、旧価値観を称揚する意図があると認識されても不思議ではありません。

また、セクシュアルマイノリティだけでなく、シスヘテロ(*1)の人たちも置いてきぼりにされているように思います。サビで〈いつかお父さんみたいに大きな背中で いつかお母さんみたいに静かな優しさで〉や〈いつかおじいちゃんみたいに無口な強さで いつかおばあちゃんみたいに可愛い笑顔で〉といった様な女性にだけケアを担当させるようなジェンダーバイアスのかかった価値観が美化されて歌われています。

そもそもこんなにジェンダー規範に合った家族が今までいたのでしょうか。いたとしても、それが女親、男親としてかくあるべきという抑圧があったからではないのか。別に世話焼きの男親がいてもいいし、あまり多くを語らない女親がいてもいいし、それを例外的なものとして扱われる理由は無いのです。

後に彼は自身のラジオで紅白歌合戦側からこの曲のオファーがあったことを前置きに「誰ひとり置いてきぼりにならないような表現に、できればしていただきたい」と語ったと、この記事にも書かれています。

https://wezz-y.com/archives/85297

「家族になろうよ」の曲紹介VTRではトランス男性とパートナーの女性、その二人に精子を提供したゲイ男性の子育ての様子を描いた映像を使用するなど限定的な表現にならないような工夫がされたようです。しかし、だとするとその家族は曲の歌詞に描かれているような家父長制的家族観とはかけ離れた存在なので、益々そのパフォーマンスが空虚なものとなっていて、歌い手の意思が結局無視されているのではないでしょうか。

このように、2020年の紅白で「家族になろうよ」が披露されたことでLGBTQ+だけでなくシスヘテロの人や、歌い手である福山雅治さんの意思まで置いてきぼりにされているのです。

紅白歌合戦の今後

今回は氷川きよしさんと福山雅治さんの二人に注目して振り返ってみました。

他にも星野源さんが赤と白の混合色であるピンクのジャケットを着て、これまでとは違う家族の在り方を支持する姿勢を示しています。(*2)

紅組司会の二階堂ふみさんはパンツスーツや、MOMOKO CHIJIMATSUのAnti Racismの指輪 、アニマルフリーを掲げたブランドを着用するなど、細かいところにも規範や差別に反対する表現がありました。(*3)

かと思えば、その年ラジオで女性差別的な発言をしたナインティナインの岡村隆史さんが出演していたりと混沌とした紅白でした。

そもそも出演者を紅白、つまり女/男で分けるのがどうなのか、というのが紅白歌合戦の根本の問題としてあります。どれだけそれを超越した演出があろうとそのシステム自体を解体しないことにはどうも説得力に欠ける気がします。“多様性”を認めはするが、今の差別的な制度は温存させるというのでは、結局はシスヘテロの規範からは脱却できていないのです。現段階ではまだ多様性を利用しているだけのように感じられ、少し残念でした。

それだけでなく、出演者が不本意な組に入れられている可能性も大いにあります。視聴者はもちろんですが、第一に出演者が気持ちよくパフォーマンスできるようにするためにも今のシステムを解体する必要があると思います。

この記事ではジェンダーの視点から2020年の紅白歌合戦をまとめてみました。問題は色々ありますが、今後皆が気持ちよく視聴、出演できるような番組になって、気持ちよく新年を迎えられる日が来るのを願ってまた今年の大晦日を楽しみにしたいと思います。

*1 ……シスジェンダーでヘテロセクシャルの意味
*2 ……参考記事:https://hoshigenchan.net/ann-13/amp/
星野源さんは、2018年の紅白で「紅白もこれからね、紅組も白組も性別関係なく混合チームで行けばいいと思う」と発言しており、多様な家族の在り方を尊重した楽曲『Family Song』もピンクを基調としていて、彼の表象するピンクには反異性愛主義的なメッセージが込められています。
*3 ……参考記事:https://news.yahoo.co.jp/articles/5c85bdee008c691648fb53a12ff6eea886672f67

執筆=ぽむぞう
画像=Unsplashより

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