「胸を揉みたい!でも…」人気漫画『チェンソーマン』の女性表象の秀逸さ

2020年12月に第一部が完結し、掲載媒体を週刊少年ジャンプ本誌から少年ジャンプ+に移しての第二部製作が発表された『チェンソーマン』。

ジャンプ作品の既成概念をぶち壊すような強烈な作風から熱狂的なファンも多く、また、フェミニストからの支持も厚い。私もフェミニストであり、また『チェンソーマン』のファンのうちのひとりだ。

悪魔と呼ばれる異形の存在がはびこる日本で、主人公のデンジはチェンソーの悪魔・ポチタと共に、父親の残した借金のためにデビルハンターとして借金取りにこき使われていた。

ある日、悪魔に殺されてしまうデンジだが、ポチタの心臓をその身に宿すことで、人間でありながらチェンソーの悪魔でもある存在となり蘇る。その後、公安のデビルハンター・マキマに拾われ、デンジは同じく公安のデビルハンターとなる。

物語の中で、年相応の「普通の暮らし」を送れなかったデンジが、公安のデビルハンターとして他者と関わりあう中で、人間らしい経験や感情、気づきをひとつひとつ獲得していく様を描いている。

作中では、女性キャラクターとの関わりのなかで学んだことを一般化し、気づきを獲得する描写がしばしば見られる。その際の、女性キャラクターと主人公デンジの関わりに焦点を当てていきたい。

「胸を揉む」事を目標とする主人公だが……

公安のデビルハンターとなったデンジは、夢見ていた「普通の暮らし」を手に入れ、次に「(女性の)胸を揉む」事を目標として設定する。新たな目標を得た矢先に、デンジは血の魔人であるパワーとバディを組むことになる。

パワーは悪魔に連れ去られた飼い猫のニャーコを助けてくれたら、そのお礼に胸を揉ませてやる、とデンジに持ちかけ、紆余曲折がありながも、デンジはニャーコを悪魔から救出する。

パワー(「チェーンソーマン 2」より)

その礼として、デンジはパワーの胸を揉む。デンジは手を伸ばしてパワーの胸を揉み、デンジの手で形を変えるパワーの乳房が描写されているが、その描写は事務的で硬質なもので、単調な印象を受ける。また、デンジの顔に表情はなく、どこか呆然としたような様子であり、一方のパワーも、ジャンプでは女体消費とセットでしばしば見られる表情の、困り顔で恥じたりする様子はない。

胸を揉み終わった後の感想も「こんなモン……?」と納得のいかない様子で、茫然自失とした様子が続く。その後マキマにも「何か悩み事でもあるの……?」と声を掛けられたデンジは、胸を揉んでも期待していた感動がなかったこと、ずっと追いかけていたものを手にしても肩透かしをくらうようなことが続くのではないかということを語る。

それを聞いたマキマは「デンジ君 エッチな事はね 相手の事を理解すればするほど 気持ち良くなると私は思うんだ」とデンジに語りかける。以下は当該場面のマキマのセリフの引用である。

相手の心を理解するのは難しいことだから 最初は手をじっくり観察してみて……

指の長さはどれくらい……? 手のひらは冷たい?温かい?

耳の形は?

指を噛まれた事はある?

覚えて

デンジ君の目が見えなくなっても 私の噛む力で私だってわかるくらいに覚えて

その後、突然マキマはデンジの手を取って自身の胸を揉ませる。デンジが手に力を入れて揉むというよりは、マキマに手を添えられて、掌で乳房を包むような触れ方である。

それでもデンジは短く叫び声を上げ、顔や手までも真っ赤に染め、座っていた椅子から転がり落ちてしまうほどの動揺を見せる。

上記セリフ運びやマキマとデンジの絡み合う指、デンジの指が触れたマキマの耳や唇の描写が扇情的なこのシーンは、前述の単調なパワーの胸を揉むシーンとの対比になっている。

この場面はストーリーの面でものちの展開に活かされることになるが、「胸を揉むこと」という行為をただの女体の性的消費として描かなかった点でも意味があると感じる。

ジャンプではしばしば、揉まれて形を変える胸が「エロ」い表現として登場する。その際には女性キャラクターは単なる女体としての役割しか持たず、性的に消費される客体となる。

「エッチなこと」を単純に、他人の身体、特に性的な意味合いを強く持つ箇所に触れること、という意味で終わらせることなく、他者との関わり合いの中でより深い意味を持っていくと、成人女性が主体となって語り、実践する姿はジャンプの中ではとても新鮮に映る。

デンジの「女」という記号への執着の変化

デンジはそもそも「女」に対して強い執着を持つキャラクターだ。1日の食事が食パン1枚のみというほどの貧しい暮らしをしている第1話から、「夢ェ叶うなら女抱いてから死にてえな……」とぼやき、その後作中でもたびたびデンジは女との触れ合いや性的な行為を求めるような発言を繰り返している。

しかしデンジは、胸を揉みたいという女体への欲と執着を見せながらも、「(マキマさんに胸の)揉みを頼めば嫌われる可能性もある…」と女個人の感情を無視してはいない。

この点において、ストーリーの上では女を他者として扱いながらも、表象の上ではラッキースケベや風呂覗きといった行為で女体としての性的モノ化を男側が積極的に強める表現とはある種真逆のアプローチであると感じる。

さらにデンジが「女」と(性的な)触れ合いがある際、それらは必ず女側から持ち掛けられ、デンジは基本それを承認または拒否する側である。

前述のマキマとのエピソードの後、公安のデビルハンターの先輩である姫野に、酒に酔った勢いで性行為をしようと持ち掛けられるが、これをデンジは拒否する。

姫野(「チェーンソーマン 3」より)

誘われた当初は、最悪な思い出(デンジはこの直前、泥酔した姫野とキスする際に彼女の吐瀉物を口に流し込まれている)を生み出した人物であることと、「ツラの良い美人(姫野)」との性行為とを比較し、それでも後者を選択しそうになるが、想い人であるマキマを思い出し、未遂で終わる。

その際デンジは「はじめてはマキマさんがい~んだ…」と呟く。目の前の性的な行為をすることよりも、誰と行為に及びたいかをデンジが自ら選択したシーンである。

デンジの執着はあくまで「女」というコードに対するものである。他者である「女」と関わり合いを持つことと、コードとしての「女」を獲得・消費することに、どこか意識の乖離があり、その結果「女」に執着しながらも、「女」を他者として尊重するというキャラクター性が生まれているように感じる。

そして、様々な他者としての「女」と関わりあう中で、「女」としてのコードを消費するよりも、「誰と」つまりどの他者と親密な行為をするか・関係になるかを重要視していくさまが描かれている。

強欲で残酷で、魅力的な女性キャラたち

この作品でもう一つ興味深い点は、独特な女性キャラクターの描き方だ。『チェーンソーマン』の魅力のひとつに、暴力的な世界観に、常識からは逸脱した価値観を持つキャラクターがひしめき合い、かと思えば現実味を帯びた表現や台詞が随所に織り込まれる点が挙げられる。

読者は、突拍子のない行動をしたりするキャラクターを、理解のできない存在を観察するかのように見るが、そのキャラクターが突然こちらの価値観にもしっくりくるような発言をすることで、急激にキャラクターへの共感がわく。そのふり幅がとても大きい分、キャラクターの存在が強烈に印象に残り、より一層ストーリーにのめり込むことができるのだ。

そして、そのような表現は女性キャラクター達にも見られ、その結果、女性キャラクターたちは、程度の差はあれど、どこか常識から外れた印象を受ける。

デンジの想い人で上司のマキマは、常に落ち着いていて優し気な雰囲気を感じるが、つかみどころのない、得体の知れない恐ろしさも纏っている。デンジを拾った直後に、「うどん伸びちゃうからキミだけで悪魔殺しにいって」「いいえなんて言う犬はいらない」「使えない公安(ウチ)の犬は安楽死させられるんだって」と言い放ち、その言動は高圧的で支配的である。

マキマ(「チェーンソーマン 10」より)

デンジとバディを組むパワーのキャラクターも「ナルシストで自己中 虚言癖持ちで差別主義者」とデンジが評するように、常識とはかけ離れた、かなり強烈なものである。

無鉄砲で自分勝手、そして自分の行動が咎められようものなら、即座にその罪を人に擦り付けるためにすぐにばれる嘘をつく。一コマの間で真逆の主張をしていることも日常茶飯事だ。彼女の、自分が最も偉大で、何者よりも素晴らしい存在だと思っているような自己中心的な発言や行動は、どこか小気味よく、呆れを通り越して愛おしさまで感じる。

彼女たちはどこまでも利己主義で、自分の欲望に忠実で、残酷だ。今までのジャンプ作品に出てくる女性キャラクターとは、また違った印象を受ける。

私は『チェンソーマン』を読んでいて、彼女たちの自由さを好ましく思った。誰かを癒すわけでもなく、誰かを正しい道へ導くでもなく、ただただ自分のしたいように物を言い、行動する様は、誰かから押し付けられた役割を背負ってはいないように感じる。

第二部はどのような物語になるか、どのようなキャラクターが登場するか、今からとても楽しみにしている。新しい舞台でも、女たちがどこまでも利己主義で、自分の欲望に忠実で、そして自由であればいいなと思う。

執筆=とら子
トップ画像=pixabay

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Written by Sisterlee(シスターリー)

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