最終回でカップルが次々誕生 少年漫画の“定石”を長年のジャンプファンが疑うワケ【ジャンプ愛読者対談】

Unsplashより

2020年、『アクタージュ』原作者逮捕に対する編集部の対応や、過去の対談での「少年をターゲット」と言い切る発言が物議を醸した「週刊少年ジャンプ(以下、ジャンプ)」。

前出の対談では、女性ファンがここ最近増えてきた、との発言があったが、「ジャンプ」が大勢の女性ファンに支えられてきたことは言うまでもない。長年「ジャンプ」に親しんできた女性ファンに、今の「ジャンプ」に対する気持ちを聞いた。(前後編の後編)

前編:「恋愛物語じゃないところに救われた」ジャンプ女性ファンに聞いた“どハマり”の始まり

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――前編で、「ジャンプ」作品で、最終回でカップルが次々誕生するパターンがあることへの指摘がありましたが、これはなぜこういう傾向が?

kyoa(以下、ka)だいたい話の展開として戦うというのがあって、戦いが終わった平和な世界の象徴としての結婚があるんじゃないでしょうか。あるいは、大人になったということの象徴とか?

とら子(以下、tr)あとはやっぱり次の展開を見据えて、と言っちゃうとあれですけど、子どもに物語を継がせられるからですかね。「まだまだ続くぜ」的な終わり方。

平和の象徴じゃないかというお話も、よくわかります。「ジャンプ」って家族や家というテーマを善というか、圧倒的に正しいものとして描くことが多い。

kobin(以下、kb)それで思い出したんですけど、『家庭教師ヒットマンREBORN!』の最後の方で主人公が父親から力の指導を受けるバトルシーンがあるんですよ。『鬼滅の刃』でも、父が存命の頃にクマを退治した時の体験は「見取り稽古だったんだ」と主人公が気づいて、次の境地に達するんですけど。

世代が違う漫画なんだけど、割と同じことをしていますよね。父は息子を教え導き、そして息子はそれを受け父を超えて一人前になるという家父長制的な相続の物語というか。で、どちらも母親は優しくて温かい存在で終わり。

ka そうですね。「ジャンプ」漫画はそもそも母親が出てこないものも多いと思います。

sm 「ジャンプ」では父殺しだったり(*)、父から何かを受け継ぐことは描かれることが多いのは事実だと思います。『ハイキュー!!』で父が昔バレーボール選手だった、というキャラクターが出てきたときにはちょっとドキっとしたんですけど。

でも、彼が父に認められることを行動理由にしていなかったり、父から何かを授けられたりする描写がなかったのを見ると、『ハイキュー!!』は父子の関係を、家父長的な描き方とは別の描き方をしていたと思いました。

*父殺し……父なる存在や、権威からの支配を脱すること。

――皆さん、どこかの時点で「ジャンプ」に違和感を感じ始めたとのことでしたが、初めて違和感を認識したときのことを教えてください。

kb 『僕のヒーローアカデミア』の連載が始まってすぐの頃、峰田実というキャラクターがセクハラをする描写を見て「ジャンプってこういう感じだよね、ハイハイ」とすごい思った記憶がある……そこが決定的だったのかもです。

同じ時期に『進撃の巨人』にすごくハマっていて。同時代にジェンダーロールに挑戦する高水準の作品が出てきたから、「ジャンプじゃなくても面白い少年漫画ってあるじゃん」って思ったのも関係あると思います。

ka 「ジャンプ」本誌を読まなくなった直接の理由は好きな作品が終わったからだったんですけど、やっぱりジェンダーに関する表現はどうしても引っかかりますよね。

そういった表現を許容する自分が許せない、というのが最近は強いです。あとは、「ジャンプ」編集部が支持できないので、関わりたくないという気持ちです。

sm 私はジェンダーの描写をめぐって、作品自体を嫌いになる、ということは基本ないんですね。

ただ、10代の途中からしばらくヨーロッパの男女平等が進んだ国で暮らしていたので、学校の国語の授業でフェミニズムリーディングやクィアリーディング(*)を学んでからおうちに帰って『NARUTO -ナルト-』や『ドラゴンボール』を読むと、つらかった記憶があります。

*フェミニズムリーディング・クィアリーディング……文献をフェミニズムやクィアの観点から批判的に読むこと。

tr 私は現実と二次元は違うというスタンスなんですけど、数年前に「ジャンプ」編集部が女子トイレのピクトグラムをパンツを下ろすマークに変更した時に「あれっ編集部、現実と二次元の区別ついてなくない? ヤバくない?」って。そのときから編集部への不信感がありますね。

私は「ジャンプ」自体からはもう離れられないと思うので、「ジャンプ」に熱狂している自分と、引きで見て苦言を呈する自分が二ついるって状態です。

――そうした批判をファンダム内で発言することに、声のあげづらさを感じることはありますか。

ka ファンダム内にいると、周りの目を気にして言えないことはすごく多いなって思っています。

「おたく女子勉強会」というイベントを主催しているんですけど、参加していることを周りに知られたくない、普段使っているハンドル名とは違う名前でなら参加したい、という方は結構いらっしゃいますね。

sm これに関しては作品によるかなということも思ったりします。『ゴールデンカムイ』のファンダムでは疑問符のつくような女性の描き方があると、その週はやはり「この描写はおかしくないか」という声が多く上がります。

私の肌感覚としては、全体的に言いやすくなってきてはいるんじゃないかなって。フェミニズムの影響が大きいのかもしれませんが、最近はツイッターでも数年前は目にしなかった表象批判を目にすることが増えました。

ka 何か言い続けていると、そういうことについて発言しなかった人がポロっと言うようになるのを見ることもあります。意外な人がふぁぼってくれたりして、勇気付けられることもありますよね。

kb 作品批判をすると、やっぱり多かれ少なかれ反発はあるんですけど、ファンダム外よりも、ファンダム内の批判の声の方が、まだ聞き入れられるし、届く人には届くのかな、と思ってます。

『BLEACH』の記事で、表現に対して声を上げる人たちを「PTA」などと括ってファンダム内にいないふうに見せかけているととら子さんが指摘されていて「なるほど」と思ったんですけど、だからこそ「ファンダム内にいるからな」とは言っていきたいですね。

――最近で言うと、『アクタージュ』原作者逮捕への編集部の反応と、2017年の「週刊少年ジャンプ」「少年ジャンプ+」の編集長対談が再度注目され、批判を浴びたと思います。皆様のお考えを聞かせてください。

kb 正直、「ジャンプ」編集部に対してそこまで期待もしていなかったので、「まあそうだろうな」というのが第一印象でしたね。

sm 『アクタージュ』の事件から編集部の対応の一連の流れを目撃した身としては、日本社会の縮図だなという感想を、シンプルに抱きました。

tr 私も編集部には期待していなかったけど、『アクタージュ』の件では期待の最低値を更新してきて。

編集部は一体何を恐れているんだろう、と。「ジャンプ」が少年のためだけのものじゃないと認めたり、作家が明らかな性犯罪を犯したことに正面から向き合ったら何を失うと思っているんだろうと、そこが疑問です。

ka でも、編集部が認めたら失うものってあると思いますよ。その件で編集部を擁護するような声ってすごく多かったじゃないですか。だから、読者に性差別的な人がいるんだと思います。

それは社会全体の問題でもあるんだけど、「ジャンプ」自身がそういうのを再生産する場でもあったわけじゃないですか。だから、もう自業自得なのかなって。性犯罪に甘いというのは以前からあったことですし。

kb 前に『ヘタリア』シリーズの再始動を批判する記事を書いた時に、SNSで批判してきた人たちのホームを見に行くと「普通の愛国主義者」みたいなことを書いてたんですよね。

私は「ヘタリアには人種差別的な表象が出てきますよね、それって良くないよね」というシンプルな思いで書いただけなのですが、その「人種差別的表象」を肯定したい人たちがこんなにいる、そしてその人たちは「愛国主義者」と名乗っている。

考えたくないですが、そういう層が読者に一定数いるのだとしたら、確かに差別に対して強くノーを言えないのかもしれないですね。

tr kobinさんの記事には「物語と現実は違う」という反応がたくさん寄せられていましたけど、私もそういうスタンスでありつつも、やっぱり表現物の力っていうのはあると思います。

このキャラかっこいいとか、このストーリー悲しいといった意識的な作用だけでなくて、無意識的な作用も受けるわけで、そこに対して無自覚な読み方をする方がすごく多いなって。それは、私含め、多くの人が批評について触れる機会がなかったのかなって。

kb 批評がポジティブに受け取られないですよね……。みんなが「いい」と言っているファンダムの中に「良くない」と思っていることを投下するのはすごく勇気がいることで、だからこそ根付かないのかもですけど。

ka ただ、二次創作も批評の一種として機能すると思うんですよ。こうだったらいいのにとか、ここはこうあるべきだっていう意思を持って時間をかけて創作するというのは、一つなのではないかと思います。

sm この二人は想い合っているのではないか、というようなカップリングを見出す行為もクィアリーディングで、批評の一つですよね。

ファンダムの性質上、愛ばかりが響いてしまうので、そこでいかに批評ができる空間を作っていくかなんだと思います。あとは、批判は作品の全否定ではない、ということを繰り返し伝えるとか。

――「ジャンプ」をまだ愛している方も、愛が失われつつある方もいらっしゃると思うのですが、最後にジャンプへの思いを教えてください。

tr なんだかんだ、圧倒的におもしろい作品をコンスタントに生み出す雑誌ってやっぱりすごいなあと思います。

編集部の体質はなかなか変わらないんですけれども、『ハイキュー!!』や『チェンソーマン』ように作家個人の価値観のアップデートがあらわれている作品もあって、そういった物語がどこにたどり着くんだろう、と希望を持ちながら読みたいなと思います。

sm 私もとら子さんと同じような考え方で、確実に価値観は変わってきていますし、個人が書いている作品だからこそ起きる変化があると思っています。フィクションの力を信じているので、これからも「ジャンプ」を読みますしこれからも大好きなんだと思います。

ka 私は「ジャンプ」は少年のために、を掲げていながら責任感が全然足りていないと思っています。社会には女もいれば、弱い人も、ブサイクもいる、そんな社会の中で生きて行く力をつける必要がある子どもたちのことを、本当に真剣に考えているのかなって。

個人的な意見ですけれども、人権を大切にしない奴はヒーローと言えないと思うので、そこを再考しつつ、もっとがんばってくださいという感じです。私自身が「ジャンプ」作品に影響を受けて育った少女だったので。

kb 私は「ジャンプ」を漫画という様式を追求する表現が生まれやすい場だと思っています。それこそ『ハイキュー!!』の擬音をアクションに絡めた表現だったりとか、新しい表現がどんどん出てきて、そういう意味で新しく、安定して面白い作品が生まれやすい雑誌なのかなと。

一方で、編集部の女性表象や、あらゆる差別に対する責任ある態度は期待できないので、『進撃の巨人』みたいに人権への配慮が張り巡らされた力強い漫画はまだまだ現れないだろうなとも思います。

でも、意識が作家さん個人でアップデートされてきたりもしているので、「ジャンプ」を読んでいる漫画好きな層にそういった価値観が、ちょっとずつ届くといいなと思います。

――みなさん、ありがとうございました。

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執筆=Sisterlee編集部 妹

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